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深川神明宮付近の旧跡

・深川芭蕉庵旧跡(常磐1-3)
東京都指定旧跡。松尾芭蕉が、延宝8年(1680年)から元禄7年(1694年)51歳で没するまで、ここの深川芭蕉庵を根拠地として、諸国の旅に出て、著名な紀行文や俳句を残した。また、近くには芭蕉稲荷神社がありその境内には芭蕉庵跡碑や、大小さまざまな蛙の置物などもある。

・六間堀川跡(常磐、森下、墨田区千歳一帯)
六間堀は、江戸時代初期から一条の水路があり、万治2年(1659年)に、土手を含めて、幅六間の川に、開さくされたので、六間堀と称せられた。昭和26年3月20日埋められた。

・新大橋旧橋跡(常磐1-6)
新大橋は、元禄6年(1693年)創架、両国橋を大橋と称したので、その下流にかれられ、新大橋と命名。新大橋に取材した「大はしあたけの夕立」は、広重の最高傑作。明治45年その川上に架け替えられた鉄橋の一部は、昭和50年明治村に移転保存。歩道に旧橋跡の石柱を江東区において建立。

・猿子橋仇討旧跡(常磐1-12 猿子橋跡)
寛政10年(1798年)11月12日、崎山平内が、だまし討ちにした渡辺彦作の妻子に討たれ、入牢死。

・籾蔵跡(常磐1-6付近)
老中松平定信の七分積金により、寛政10年(1798年)災害救助用の籾蔵11棟を建設。

・安宅丸(あたけまる)旧跡(新大橋1 新大橋付近)
寛永10年(1633年)から天和2年(1682年)まで、わが国最大の木造軍艦安宅丸がつながれ、町名を安宅町と称し、新大橋の橋台地に、その由来を記した石柱を江東区において建設。

・御船蔵旧跡(新大橋1,2丁目付近)
江戸時代、幕府の軍船を格納する御船蔵があり、この付近の旧町名を御船蔵といった。

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