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龍光院付近の旧跡

・石造五輪塔(龍光寺)
総高三四九センチメートルという、区内有数の大きさの五輪塔。貞享三年(1686年)の銘があるが、由来は不詳である。昭和初期(関東大震災後)に現在地に移築されたと伝えられている。

・二世勝俵蔵の墓(三好2-7 照光院)
俵蔵は、四世鶴屋南北の子、劇作家、直江屋十平衛とも称し、門前仲町付近に住み、天保元年(1830年)十二月十七日五十歳没。

・阿茶局の墓(三好2-17 雲光院)
雲光院開基、徳川家康に仕え、慶長十九年(1614年)大阪の役には、淀君と和睦交渉するなど数々の功績があり、寛永十四年(1637年)一月二十二日八十二歳没。

・司甚内の墓(三好2-17 雲光院)
吉原遊郭の創立者、慶長十七年(1612年)幕府に申請、元和三年(1617年)許可を得て、思案橋近く(中央区)に二町四方の遊里を創設、正保元年(1644年)一月八日六十九歳没。吉原は、明暦三年(1657年)大火焼失後、浅草に移転。

・後藤三右衛門の墓(三好2-17 雲光院)
金改役、老中水野忠邦に仕え、金銀貨を改鋳、忠邦失脚後、斬罪処刑、弘化二年(1845年)十月二十三日。

・初代竹本越路太夫の墓(三好2-17 雲光院)
浄瑠璃の名人、嘉永元年(1848年)八月没。

・三世野沢吉兵衛の墓(三好2-17 雲光院)
初代竹本越路太夫の子、浄瑠璃名人、文久二年(1862年)七月二十八日、四十二歳没。

・大屋裏住の墓(三好2-17 一言院)
萩の屋と号す狂歌師、文化七年(1810年)五月十一日七十七歳没。

・英一峰の墓(三好2-17 一言院)
画家、宝暦十年(1760年)四月二十八日六十四歳没。

・三井親孝の天水桶(三好2-16 善徳寺)
書家、三井親和の子、文化四年(1807年)大島の釜六が鋳造した天水桶は、親孝の筆跡、菊の紋章がある。

・石川玄常の墓(三好1-4 松林院)
医者、蘭学者、文化十二年(1815年)二月四日七十二歳没。

・福士幸次郎の墓(三好1-5 済生院)
詩人、大正詩壇に口語自由詩をはじめた。昭和二十一年十月十一日五十八歳没。

・紀伊国屋文左衛門の墓(三好1-6 成等院)
材木豪商、俳号千山、晩年門前仲町付近に住み、享保三年(1718年)一月二日五十四歳没。墓前に巨石の記念碑がたっている。

・和田氏歴代の墓(三好1-6 長専院)
大阪和田村の大和田清左衛門は、徳川家康に招かれ関八州漁師支配を命ぜられ、子孫は和田と称し魚問屋、名主。

・松平定信の墓(白河1-3 霊巖寺)
国指定史跡。天明七年(1787年)老中首席、寛政改革を実施、退官後大名学者として著書が多く、文政十二年(1829年)五月十三日七十二歳没。

・本多忠統の墓(白河1-3 霊巖寺)
猗蘭と号し、大名学者、宝暦七年(1757年)二月十九日六十七歳没。

・雄誉霊巖の墓(白河1-3 霊巖寺)
寛永元年(1624年)霊巖島(中央区)に霊巖寺創立、寛永十八年(1641年)九月一日八十八歳没。霊巖寺は、万治二年(1658年)現在地に移転。

・松田東吉郎の墓(白河1-3 霊巖寺)
幕末の志士、福井藩校教授、安政六年(1859年)六月二十日藩邸において切腹、二十三歳。

・江戸六地蔵(白河1-3 霊巖寺)
東京都指定重宝。深川地蔵坊正元が、江戸街道筋に六体の地蔵を建立、享保二年(1717年)四月完成した丈六の金銅仏。

・度会園女の墓(白河1-1 雄松院)
芭蕉の門人、度会園女は、夫の死後、大阪から江戸に出て、富岡八幡宮前に住み、享保十二年(1726年)四月二十日没。

・奈良屋茂左衛門旧跡(白河1-1 雄松院)
紀伊国屋文左衛門と豪商を競った材木屋奈良茂代々の墓があったが、今は過去帳のみ。

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