円珠院付近の旧跡
・高峰筑風の墓(円珠院) | |
筑前琵琶の高峰筑風派の創始者、昭和十一年二月二十一日没。女優高峰三枝子は、その娘。 |
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・水場旧跡(平野1丁目海辺橋付近) | |
深川方面は、井戸の水質が悪く、明治三十二年上水道がひかれるまで、飲用水は水船の水を利用、水船の発着所があった。 (写真は海辺橋から仙台堀川を望む) |
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・採荼庵旧跡(平野2丁目海辺橋付近) | |
海辺橋から平野児童館あたりに、芭蕉の弟子杉山杉風の別宅があり、芭蕉は、しばしばここに遊んだ。元禄二年おくの細道の旅はここから出発、仙台堀川に舟を浮かべ、千住にあがった。海辺橋に由来を記した石柱がたっている。 |
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・橋本雅邦の墓(三好1-4 玉泉院) | |
明治日本画壇の巨匠、東京美術学校の創立、日本美術院創建に尽力、明治四十一年一月十三日七十五歳没。 |
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・手柄岡持の墓(三好1-4 一乗院) | |
本名平沢平格、狂歌狂文をよくす。文化四年(1813年)五月二十日七十九歳没。 |
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・桜井雪館と雪保の墓(三好1-3 勢至院) | |
雪舟水墨が十二世桜井雪館は、水墨画をよくし弟子多く、寛政二年(1790年)二月二十一日七十六歳没。その娘雪保は、父の画業をつぎ、文政七年(1842年)九月九日七十歳没。同寺に雪館雪保の業績を記した石柱がたっている。 |
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・霊巖名号碑(三好1-3 勢至院) | |
雄誉霊巖は、寛永元年(1624年)霊巖寺を創立。その筆跡の碑。 |
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・関東大震災供養塔(平野2-4 浄心寺) | |
大正十四年創立、関東大震災による死者の納骨供養塔。 |
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・浄心寺梵鐘(平野2-4 浄心寺) | |
川越の時鐘として使用していた行伝寺の時鐘、文久元年(1861年)の鋳造。 |
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・中村歌右衛門の碑と石灯籠(平野2-4 浄心寺) | |
初代、二代、三代、四代、各歌右衛門は、浄心寺とゆかりが深い。四代が三代の業績をたたえた碑と初代の寄付した石灯籠が残っている。 |
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・三沢の局の墓(平野2-4 浄心寺) | |
四代将軍家綱の乳母、浄心寺の開基、小堀遠州の妾、明暦二年(1656年)三月三十一日没。 |
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・矢部定謙の墓(平野2-4 浄心寺) | |
三百俵旗本矢部定謙は江戸町奉行に出世老中水野忠邦の収賄事件を摘発しようとして逆に捕らえられ、天保十四年(1843年)五月二十二日絶食餓死。 |
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・初代清元延寿太夫の墓(平野2-4 浄心寺) | |
俳優、宝暦九年(1757年)十月十九日三十歳没。 |
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・初代坂東彦三郎の墓(平野2-4 浄心寺) | |
名優、寛延四年(1751年)一月一日四十一歳没。二代目彦三郎は、明和五年(1768年)五月二十四日二十八歳没。共に浄心寺に墓。 |
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・小堀蓬雪の墓(平野2-4 浄心寺) | |
小堀遠州の次男、茶道の大家、元禄七年(1694年)八月四日七十歳没。 |
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・狩野永徳の墓(平野2-4 浄心寺) | |
画家、花鳥に巧み、寛政六年(1794年)十二月二十五日五十六歳没。 |
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・明珍恒男の墓(平野2-4 浄心寺) | |
彫刻家、国宝修理に尽力、昭和十五年三月十八日五十九歳没。 |
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・洲崎遊女合葬墓(平野2-4 浄心寺) | |
明治二十一年から昭和三十三年まで東陽一丁目にあった洲崎遊郭の遊女の合葬墓。 |
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・滝沢馬琴出生地(平野2-4 浄心寺門前) | |
浄心寺門前の千石旗本松平信成邸内において、明和四年(1767年)六月九日出生。 |
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・間宮林蔵の墓(平野2-7 本立院) | |
間宮海峡発見、文化六年(1809年)単身黒竜江奥地を探検、弘化元年(1844年)二月二十六日六十五歳没。 |
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